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ニクイねぇ!調査隊

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トレンドは「薄衣」!日本唐揚協会に聞いた、唐揚げトリビア10選

ごはんのおかず、お酒のつまみ、おやつや間食、夜食のお供と、いつでもどこでも食べられる“唐揚げ”。もはや国民食といっても過言ではないほど、我々にとって馴染み深いものといえるでしょう。しかし、それほど身近な存在であるにも関わらず、唐揚げには知っていそうで実はあまり知られていないトリビアが多く存在します。そんな唐揚げをとことん知り尽くしたスペシャリスト……ならぬ“カラアゲニスト”として、日本唐揚協会専務理事を務める八木宏一郎さんに、唐揚げについていろいろと教えてもらいました。 ――唐揚げの話をうかがう前に、まずは日本唐揚協会、そしてカラアゲニストについて教えてください。「私ども日本唐揚協会は、唐揚げを愛する人々の団体であるとともに、庶民の味の代表格である唐揚げを、SUSHIやTENPURAに続く世界的ブランドに認証されることを目標に、さまざまなパブリシティを活用した啓蒙活動を展開しています。そのなかで、唐揚げについて見識深く、またそのおいしさを多くの人々に伝えることのできる人物を“カラアゲニスト”として認定しています」 ――カラアゲニストに認定された方はどのくらい?「約7万5000人が認定されています(2017年1月現在)。唐揚検定に合格すれば誰でもカラアゲニストになれますので、ご興味のある方はぜひ私ども日本唐揚協会のサイトをご参照いただければと思います(笑)」 日本唐揚協会・八木宏一郎さんに聞いた「唐揚げのトリビア10選」 ――では改めまして、唐揚げに関するトリビアについてお聞きしていきます。まずは、唐揚げの基礎的な知識から。 [その1]唐揚げの定義「私ども日本唐揚協会では、唐揚げとはこういうものだという定義を定めております。それは食材に小麦粉や片栗粉をまぶして、油で揚げたものです。鶏肉に限らず魚や野菜でも、この定義に沿っていれば唐揚げになります」 [その2]唐揚げの起源と名前の由来「歴史的な観点からいいますと、江戸時代初期に中国から伝わった普茶料理(豆腐を油で揚げてしょうゆと酒で煮たもの)が唐揚げの始まりといえます。日本では昔から、海外から伝わった舶来物に対してトウ(唐)という頭文字を付けてきました。こうした経緯を考えても、日本唐揚協会の見解としては、「から揚げ」ではなく「唐揚げ」と表記すべきだと考えます」(八木さん)(編集部註:普茶料理が現在のような“唐揚げ”に進化した過程については、文献などが見つかっていないため不明なのだそうです) [その3]唐揚げ文化の発展「外食産業として一番最初に唐揚げが登場したのは、1932年(昭和7年)、東京銀座のレストラン三笠会館の銀座支店で提供された若鶏の唐揚げです。三笠会館伝統の味ということで、80年以上が経過した現在も人気のメニューになっています」−−80年以上ですか……。すごい歴史ですね。「唐揚げが家庭の食卓に上がるようになったのには、また違った経緯があります。戦後の国策としてタンパク質を卵(鶏卵)から摂ろうと、全国各地に養鶏場が多く造られました。卵を採り終えた鶏は肉がくさく硬いため、廃棄されることが多かったのですが、これをおいしく食べるための方法はないかということでさまざまなレシピが考案されました。そのなかから、ショウガやニンニク、タレや醤油に漬け込んで揚げる唐揚げが定着していきました」 【次のページ】唐揚げの「聖地」って?第一次・第二次唐揚げブームとは?[その4] 唐揚げの「聖地」−−唐揚げは日本中で食べられていますが「聖地」といえば?「特に養鶏場が多かった大分県北部の中津市や宇佐市などでは、唐揚げが食文化として根付き、多くの唐揚げ専門店が誕生しました。現在では、中津市は唐揚げの聖地、宇佐市は唐揚げ専門店発祥の地として知られるようになりました」 [その5]唐揚げブームには第一次と第二次がある−−最近は、各地で唐揚げ専門店をよく目にします。過去にもこういったブームはあったのでしょうか?「昭和30年代の後半から40年代の前半にかけ、唐揚げが大人気になりました。これを私どもでは第一次唐揚げブームと呼んでいます。第二次ブームは平成21年(2009年)、中津の人気店もり山と宇佐の人気店とりあんが東京に進出してきたのがブームの火付け役になりました。そして、平成21年を機に唐揚げ専門店の出店が全国各地に広まり、現在では約1000店舗に。平成21年を基準とすると、出店店舗数はその後の5年間で15倍以上に拡大しています」(八木さん) [その6]唐揚げの「親戚」−−ひと口に鶏の唐揚げといっても、地方によってバリエーションがかなり豊富ですよね。「宮崎県のチキン南蛮、愛知県の手羽先唐揚げ、最近では北海道のザンギが急速に知名度を上げています。これら以外にも、新潟県の半羽揚げ、長野県の山賊焼き、岐阜県の関からあげ、愛媛県のせんざんきなどがあります。いずれも同じ“唐揚げ”ですが、味付けや揚げ方など、地域によって独自の製法でつくられています」 唐揚げの新たなトレンド「薄衣」とは?八木さんとっておきの「マニアックな唐揚げトリビア」とは? [その7]もも肉をありがたがるのは日本だけ!?「実は、世界で最も食べられている鶏肉の部位は胸肉です」−−そうなんですか!?「海外では、もも肉よりも胸肉の方が人気です。ヘルシーで、肉を揚げた後にソースなどの味付けをするため、調理の際に鶏肉自体にかける手間が少ないことが理由といわれています。脂身が多くて柔らかいもも肉は、外国の方にとっては逆に下ごしらえに手間がかかってしまう点で敬遠されています。鶏肉を揚げる前に仕込むという考え方自体が、海外ではありえないことなのだそうです。日本人はそのあたりの手間を惜しまないですし、手間のかかる下ごしらえが日本では独自の調理法として確立しています。下ごしらえにそこまで手間をかけるのは、日本人くらいなのだそうです(笑)。結果的に、日本ではもも肉の柔らかくてジューシーな食感を普通に楽しめる環境にあり、それが鶏肉のスタンダードになっていることも、日本での人気の理由といえるでしょう」 [その8]コンビニ“唐揚げ”がブームを牽引−−唐揚げがここまでブームになった原動力は何でしょうか。「時間を問わず、いつでもおいしい“唐揚げ”を食べられるようになったのは、やはりコンビニエンスストアの影響が大きいです。昭和61年にローソンがからあげクンを販売したのが最初で、各コンビニの追随もあり、味のレベルがどんどん高くなっていきました。その波及効果ともいえるのですが、冷凍食品の唐揚げやスーパーでのお総菜として売られる唐揚げも、その品質を高くせざるを得ない状況に追い込まれる事態に(笑)。結果として、私たち買う側にとっては、おいしい唐揚げをいつでも気軽に買えるという状況になっています」 [その9]唐揚げの新たなトレンド「薄衣」−−“唐揚げ業界”の、最近の新しい動きといえば?「唐揚げの特徴ともいえる衣ですが、この衣の厚さを薄くした“薄衣”が唐揚げ業界の新たなトレンドになっています。これまで主流だった唐揚げは、その構成が1個20gで衣と肉の比率が3:7でした。これに対し、薄衣の唐揚げは、鶏肉自体の旨味を重視することで1個35gで衣1:肉9の比率になっています」「粉を鶏肉にまとわせる工程を粉打ちというのですが、薄衣はタレ漬けした鶏肉に対して揚げる直前に粉をまぶし、無駄な粉をはたいて落とす後打ちという手法をとっています。また、後打ちに対する工程として先打ちがありまして、こちらは粉をまぶした鶏肉を一定の時間寝かせた後、揚げる手法になります。薄衣でも、衣の食感を強く出すために、粉を片栗粉100%にしている店もありますね」−−粉の種類にも変化を付けているんですか?「私が知っているやり方では、唐揚げの粉は小麦粉と片栗粉のミックス。専門店さんによってさまざまですが、この比率は1:1であることが多いですね。また、米粉やコーンスターチなどを混ぜるなど、独自の工夫をされているお店もあります」 [その10]唐揚げ粉の歴史−−そもそも、お馴染みの「唐揚げ粉」はいつ頃から普及したのでしょう?「唐揚げ粉が商品として世に出たのは、昭和48年に日清製粉さんが販売した「日清から揚げ粉」が最初です。この商品登場を機に、家庭でも本格的な唐揚げがつくれるようになりました。現在では、専門店プロデュースのものなど、バリエーションも随分と増えてます」 ■八木さんの唐揚げに対するこだわりとは−−それでは最後に、八木さんがおすすめする唐揚げのおいしい食べ方やこだわりを教えてください。「今では、唐揚げ専門店やコンビニなどでおいしい唐揚げを手に入れることはできますが、自宅で揚げる唐揚げも、また趣があるものです。自分で揚げて食べる分には何の制約もなく、たとえば、唐揚げにかけるソースやトッピングを変えてみたり、揚げ油の種類をサラダ油だけでなくごま油やオリーブオイルにしてみたりといった、工夫できる余地がいくつもあることが、唐揚げの楽しさにつながっていると思います。ですので、やはり唐揚げは、おいしく、楽しく、が一番ですね」−−確かに、油やソースを変えると味がガラッと変わりそうですね。「揚げ油にオリーブオイルを用いるときは、相性のよいバジルで風味を付け、トマト系のソースをかける“イタリアン風”唐揚げがおすすめ。また、砕いたピーナッツや柿の種を肉に付けてから粉をまぶしたり、付けダレもマヨネーズベースにケチャップ、柚胡椒、カレー粉を入れたり、梅甘酢や甘味噌ダレに付けて食べたりするとおいしいですよ」−−お好きな部位は?「私は、胸肉ともも肉のミックスが好きですね。胸肉は他の肉と同じく、酵素を多く含んだフルーツやヨーグルトに漬け込むと、肉の繊維が壊れて柔らかくなります」−−今後の唐揚げの展開や、注目ポイントを教えてください。「いかにして胸肉の唐揚げをおいしく食べるか、を追求していくことですね。胸肉は安くてヘルシーであり、唐揚げにしても工夫やアイデア次第でおいしく食べられることを広めていきたいと思っています。それと、唐揚げの部位としてまだまだ発展の余地がある手羽元と内臓系にも注目しています」−−内臓系ですか! 手羽元はわかるのですが、内臓系は確かに唐揚げとしてはあまり聞かないですね。「砂肝の唐揚げはクセが少なく、焼き鳥にするよりも柔らかくジューシーに食べられます。レバーは血の固まりや筋を取り除き、臭いが気になる場合は塩水に20分ほど漬けておくと臭みが取れます。唐揚げにすると濃厚でねっとりとした食感を楽しめますよ」 普段、何気なく食べている唐揚げ。その世界は想像以上に広く、そして深いものでありました。取材にご協力いただいた八木さん、そして、日本唐揚協会に感謝の意を捧げつつ、明日のランチは唐揚げ定食をチョイスすることを心に決めました。 教えてくれた人八木宏一郎さん日本唐揚協会 専務理事。愛知県春日井市出身。全国の4000店以上で唐揚げを食した、筋金入りのカラアゲニスト。唐揚げを世界に通じるブランド“KARAAGE”にするべく、啓蒙活動に日夜奮闘中。日本唐揚協会 http://www.karaage.ne.jp/ ●こちらの記事もおすすめです![glink url="http://www.nikuine-press.com/trial/post_1124/"][glink url="http://www.nikuine-press.com/trial/post_644/"] 

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教えて!マイスター

290台を集めた「換気扇マニア」かく語りき なぜ岐阜の中津川が換気扇の“総本山”なのか?

人生において、換気扇に対して特別に思いを馳せたこと、ありますか? 年末の大掃除のときなどに、「換気扇の掃除って面倒だなぁ」と思うくらいで、ふだん、その存在を意識することって、あまりないですよね。でも、今回お会いした村上淳一さんは違います。ひと言でいえば“換気扇に人生を捧げた男”。物心つく前の2歳ごろから、回っている換気扇のプロペラに興味を抱きはじめ、うっすらと記憶が残る4~5歳になると、お年玉で換気扇を買うようになっていたという31歳。換気扇が好きで好きでたまらない人なのです。換気扇マニア 村上淳一さん大阪生まれの31歳。5歳ごろから換気扇を「おもちゃ」として買い始めた、筋金入りの換気扇マニア。本格的にコレクションし始めたのは19歳ごろから。現在約290台の換気扇を所有。すべて未使用品のデットストック状態で購入するのがモットー。換気扇を購入するのは、主にオークションや廃業した電気屋さんなどから。現在、村上鍼灸院院長・堺市鍼灸マッサージ師会会長を務める。 http://www.eonet.ne.jp/~murahariq/index.html そんな村上さんが、今回、換気扇マニアの間で“総本山”として崇められている三菱電機の中津川製作所を訪れるということで、同行させてもらいお話を伺いました。なぜ、総本山と呼ばれるかなどについては後述しますが、そもそも、村上さんはなぜそこまで、換気扇に魅了されてしまったのでしょうか?「子どものころって、たとえば、プロペラの付いた飛行機やヘリコプター、船のスクリューなどのおもちゃに興味を持つと思うんですよね。私も同じように、それらのおもちゃを持っていたらしいのですが、最終的に一番興味を示したのが、換気扇だったみたいです。4歳のころ、母が入院する際に寂しくないようにと、父がホームセンターで買ってきたものをおもちゃとして与えられたのが、三菱換気扇との最初の出会いです」オレンジ色の羽根の換気扇が、4歳のころ父親に与えられたもの。子どものころは羽根を付け替えるなどして遊ぶのが定番だったという村上さん。換気扇を分解することで、各製品のパーツそれぞれが最適化された設計になっていることなどを肌で感じて、自然と学んだという「なぜそんな当たり前のことを聞くの?」という感じで、幼少期のエピソードをサラッと語ってくれた村上さん。でもそれって、全然、当たり前のことではありませんから! 百歩譲って、同じくプロペラに興味を持ったとしても、もっと身近な家電として扇風機があったはず。なぜ興味の対象が扇風機ではなく、換気扇だったのでしょう?「だって、扇風機は夏しか会えないんですよ。換気扇は春夏秋冬、いつでも会えるじゃないですか。会えないときがあるのは寂しいですからね」なるほど……。ところで、そもそもなぜ岐阜県の中津川市が“換気扇の総本山”と呼ばれているのでしょうか? よほどのことがなければ、総本山なんて呼ばれないと思うのですが。 マニアが「三菱電機を知ることで換気扇を知ることができる」と断言するワケ ここが“換気扇の“総本山”、岐阜県中津川市にある三菱電機 中津川製作所「長きにわたって、多くの種類の換気扇を開発しているメーカーといえば三菱電機であり、その開発や製造を担っているのが、ここ中津川製作所だからです。換気扇マニアにとっては常識で、あこがれの地なんです!」さらっと“常識です”といわれても、なかなかついて来られない方のために説明すると、実は日本には、村上さんが知る限り、換気扇マニアは自称を含め、20名程度の方がいらっしゃるそうです。そのなかに“古参”と呼ばれる方々がいて、村上さんはそのお一人なのだとか。換気扇マニアの方々にとって、三菱電機の換気扇は知識のベースであり、「三菱電機を知ることで、換気扇を知ることができる」といわしめるほど、みなさん大好きだというのです。「他メーカーよりも多くのモデルをそろえているのはもちろん、個人的に見ても、三菱電機の換気扇が持つ個性の強さや、印象に残るデザインが多いところが好きなんです。特に、流線形や円を描くようなデザインは芸術的。吸込グリルの“工業製品美”的なものは、他社の換気扇とは一線を画しているんですよね」 1960〜70年代、換気扇の世界を変えた名機はこれだ! そんな村上さんと三菱電機 中津川製作所を“お参り”した後、290台のコレクションのなかから厳選して持参いただいた村上さんお気に入りの換気扇を拝見しつつ、換気扇についていろいろと教えてもらいました。ドーン! 村上さんお気に入りの換気扇たち。290台のコレクションのうちの、ほんの一部ですまずは換気扇の歴史を知るうえで、村上さんが生まれた昭和60年、西暦に直すと1985年がどんな年だったかを知っておく必要があります。この年は、「換気扇にとって節目となる1年だった」と村上さんは振り返ります。「私が生まれた1985年頃から、換気扇界に大変革が起きました。大風量と低騒音を両立した三菱電機の“エクストラファン”が大々的に登場したのがこの85年で、羽根の色がブルーなどのカラフルだった時代から、白に変わったのも85年。以降、換気扇自体が主張しない方向へとだんだんシフトしていき、“顔”が同じような姿になっていきました」村上さんは、自宅と実家に290台の換気扇をコレクションしており、営んでいる鍼灸院では常に3台の三菱換気扇が稼働しているとのこと。その3台を、まるで絵画を架け替えるかのように、気分や季節によって架け替えているといいます。「換気扇は“時代の空気”を反映します。たとえば、1960年代から70年代は、換気扇というのはとても目立つ存在でした。羽根自体の色も奇抜なオレンジやブルー、グリーンなどがよく使われていました。当時のインテリアは、今よりずっとゴテゴテしていて、ほかの家電などもカラフルでしたからね」ひと口に換気扇といっても表情はさまざま。この3台の換気扇はすべて、85年以前の三菱電機製たしかに1960〜70年代は、炊飯器や電気ポットなどに花柄がふんだんに使われていたり、電子レンジや冷蔵庫の本体色にグリーンが使われるなど、家電のカラーやデザインの主張が驚くほど強い時代でした。そのころの換気扇のなかでも、村上さんがエポックメーキングな製品として挙げてくれたのが、1968年製の「E-20RT」と1979年製の「E-20LF」です。1968年製 三菱電機「E-20RT」NEWコンパック・ステンレスエース「『E-20RT』は、“ステンレスエース”というネーミングのとおり、ステンレス製の表面パネルが特徴で、当時の台所用高級タイプの位置付けです。そして美しい3枚の羽根!」1979年製 三菱電機 E-20LF「『E-20LF』は、今も定番として売られている“フィルターコンパック”の、まさにご先祖に当たる初代モデルです。羽根は5枚羽根。音は今の換気扇と比べると、かなりうるさいですよ~(笑)」“フィルターコンパック”は、いまの三菱電機の換気扇の中では定番中の定番ライン。フィルターカバーをプロペラの前面にかぶせることで、内部の羽根や本体の汚れを抑えるモデルとして知られています。初代機の発売から35年以上経った今でも、モデルチェンジを繰り返しながら、標準換気扇のロングセラーモデルとして販売され続けています。 初代に比べると超便利に進化! 掃除をラクにする“フィルターコンパック” 初代の“フィルターコンパック”換気扇が出てきたということで、せっかくなので最新の“フィルターコンパック”換気扇「EX-20LF6」と比較してもらいました。最新の三菱電機 標準換気扇「EX-20LF6」「風切り音の大きさが全然違いますよね。初代『E-20LF』の音は、“ブーーーン”と重たい感じの大音量。振動も凄いです。それと比べると、最新の『EX-20LF6』は、“フーーン”をさらに静かにした感じの微音しかしません」各製品を動かしながら実際に稼働音を聞かせてくれる村上さん。文字どおり、初代モデルからは“ブーーーン”という大音量と振動が耳に届き、最新モデルでは“フーーン”という微音しか聞こえません。「さらに、“フィルターコンパック”の特徴であるフィルター交換のしやすさという点では、圧倒的な進化が見られます。初代の“フィルターコンパック”は、前面カバーが本体にネジ止めされています。それを外したとても、当時のグラスファイバー製フィルターを外すために、今度は内側の金枠を外す必要が。それを外してようやく、このフィルター部分だけを取り外せるのです。お手入れをするたびに、毎回、同様のことやらなきゃいけないって考えると、本当に面倒くさい構造でしたよね」初代はネジ止めされているカバーを外し、金枠を外してフィルターを外し……。確かに面倒です「それに比べると、最新の“フィルターコンパック”はカンタンに外せて、しかも、フィルターの枠ごと交換して捨ててしまえるので、初代機の様な面倒な作業が必要ありません。新しい交換用フィルターを再び装着するだけでいいのです。オイルトレーなども同じような考え方で作られています。初代モデルはオイルトレーをいちいち水洗いして掃除させていたのですが、最新モデルでは透明のトレー部分を外してそのまま捨て、新しい交換用トレーをはめ込むだけで済むんです」簡単に外せるうえにフィルターを枠ごと交換できる、最新の“フィルターコンパック”換気扇「EX-20LF6」。初代と比べると交換時の手間は圧倒的にラク! 優秀な店頭販売員みたいな村上さんの説明も熱を帯びてきました「続いて、羽根の取り外しやすさも向上しています。初代モデルは在来の羽根止めスピンナーを回しながら、モーターのシャフト(軸)から外すのに対して、最新モデルではスピンナレスのワンタッチ着脱プロペラになっていますから、あっという間に取り外せます。これなら掃除などもラクですよね」最新換気扇「EX-20LF6」は羽根を一発で着脱できる! そして、村上さんの話は構造の方へとシフト。それぞれの換気扇を横から見せてくれます。「ほら、この奥行きをみてください。初代と比較して、圧倒的に薄くなっていますよね。性能が向上しつつ、サイズも小さくなった最新モーターが薄型化に貢献しているんです。また、同じ5枚羽根でも、外部までの距離が短くなっている分、排出効率が圧倒的に良くなっているんですよ」薄くなりサイズも小型化。でも効率は大幅アップしています羽根の話題が出たところで、今度はおもむろに2枚のプロペラを持っての説明が始まります。1枚は最新の標準換気扇に搭載されている“エクストラウイングレットファン”、そしてもう1枚は、それ以前の4枚羽根で“エクストラファン”と呼ばれる羽根。「“エクストラウイングレットファン”は、最新の換気扇や扇風機などに使われている羽根で、航空機の翼などで採用されるウィングレット形状をしています。特徴としては、回転時に外周端部に生じる風の翼端渦(カルマン渦)の変動を抑え、運転音を低減させています。これまでの“エクストラファン”をより進化させた羽根というわけですね」村上さんがふだん自身の鍼灸院で愛用している換気扇、最新機「EX-20LH6」の“エクストラウイングレットファン”(左)と、4枚羽根“エクストラファン”(右)「実際に鍼灸院で使っている2台分の羽根を持参しました。この汚れは、お灸の煙によってついたものです(笑)。この2枚の羽根のうち、純粋にホコリがない状態で動かすと、風切り音が静かなのは当然、5枚羽根の“エクストラウイングレットファン”になります。でも、このようにホコリが付着した状態で動かすとどうでしょう? 今度は4枚羽根の“エクストラファン”のほうが、音はそこまで気になりません。むしろ、5枚羽根の“エクストラウイングレットファン”のほうは、汚れると“ブーン”という音が発生し、うるさく感じます」“エクストラウイングレットファン”のメカニズム(クリックで拡大)ここからはあくまで、村上さんの推察ですが、「ふだん静かな“エクストラウイングレットファン”は、汚れが付いたことを早くユーザーに知らせ、少しでもこまめにお手入れしてもらうことで風量を落とさず、常にエネルギー効率のいい状態で使ってもらおうと、メーカー側が配慮しているある種の仕掛けなのでは?(笑)」とのこと。もうこのレベルの話になると、おそらく村上さんくらいのマニアでないとわからないレベルです。 羽根の回る方向や引きひもの位置は、メーカーによって実は異なる ちなみに村上さんは、世界でも珍しい、換気扇の音だけでそのメーカーや製品名をいい当てられる男としても知られています。「換気扇の音を聞き分けるポイントは、ひとつめは羽根の風切り音、ふたつめは裏側のシャッターの開閉音、3つめは引きひもを引いた際の音や動き出すタイミングにあります」この話を聞いたところで、さすがに普通の人がいきなり換気扇の音を聞き分けられるようになるわけはありませんが……。でも、メーカーごとにそうした違いがあるというのは、換気扇マニアの村上さんだからこそ知り得る情報。しかも、そうした違いは、音だけでないといいます。「たとえば、作動させるための引きひもの位置は、三菱電機の換気扇と他社のものとでは違います。左右のうち、三菱電機はすべてにおいて左に付いています。羽根の回る方向も、メーカーによって時計回りと反時計回りとがありまして、三菱電機製は時計回りと決まっています」確かに、三菱電機の換気扇は引きひもがすべて左側にある!「さらに、裏側を見てください! これも三菱電機ならではの特徴で、今回撮影で用意した20cm羽根の機種は3枚シャッターで統一されています。昔の機種は排気シャッターがアルマイト仕上げですごく美しく……(以下、あまりにもディープな話なので割愛)」そもそも換気扇の裏側、普通の人は見ませんよね……。確かに三菱電機製の20cm羽根の機種は、すべて排気シャッターが3枚です マニア視点で見た三菱電機の換気扇のスゴさは「真面目さと信頼性」 さすがに、換気扇「マニア」と呼ばれるだけのことはあります。怒涛の換気扇トークが繰り広げられ、終わりが見える気配がありません。というわけで、強引ではありますが、最後に三菱電機の換気扇はドコがすごいのかを、マニア視点で教えてもらって話を締めましょう。「これは個人的な印象なのですが、三菱電機の換気扇は他メーカーのものと比べて、丈夫過ぎるくらい頑丈に作られています。極端なことをいえば、10年間くらい掃除しなくても、正常に動き続けるというくらいに。三菱電機って非常に真面目なモノ作りをするメーカーですから、換気扇にはそういった社風や製作者の心意気が特に色濃く出ているんだと思います。天井埋込み型換気扇の最新モデルの一部には、羽根に“ハイブリットナノコーティング・プラス”が施されていて、汚れがとにかく付着しづらい仕様になっているのも、心意気の塊。換気扇というものはなにげない存在ですが、正常に動かなくなると非常に困る存在。たとえば、ひもが切れてしまったら困るし、動かなくなったら本当に困ります。なので、少しでも壊れにくく、いいものを作るという三菱電機の製品は、換気扇マニアにとって十分に信頼できるものなのです」 [glink url="http://www.mitsubishielectric.co.jp/ldg/ja/products/air/lineup/ventilationfan/index.html"]  取材・文/滝田勝紀『All About』の家電ガイド。フリーランスの編集者。モノ情報誌で家電製品の担当を10年以上務める。とくにロボット系家電やIoT家電に精通。毎年9月にドイツで開催される世界一の家電見本市「IFA 2015」ほか、海外の家電イベント/家電メーカーの取材経験も豊富。 

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ニクイねぇ!調査隊

懐かしい! 歴代“レジェンドモデル”で振り返る、プリクラ20年の歩み

“プリクラ”の相性で親しまれているプリントシール機。最初のモデルがゲームセンターに並んだのは1995年のことでした。今回は、誰もが一度は楽しんだことのあるプリントシール機の“レジェンド”モデルをリストアップ。その進化の歴史を振り返ります。 1995年 プリント倶楽部「プリント倶楽部」(アトラス/セガ・エンタープライゼス)が発売されたのは、約20年前のこと。女性客の少ないゲームセンターに置かれていたこともあって、当初こそ人気はパッとしませんでした。ところが、男性アイドルグループが出演するテレビ番組に登場したことで大ヒット。翌96年からはブームに火がつきました。元祖「プリント倶楽部」は、その場で撮った顔写真をカワイイ背景やフレームと合成してシールにする、というシンプルな仕組みでした。ブームになったことで、多くの他メーカーがプリントシール市場に参入。シールだけでなく、名刺やスタンプ、ポストカードやキーホルダーを作れるものなど、派生モデルが続々と登場しました。この頃のプリクラといえば、2〜3人で顔のみを撮影するのが普通で、使われているカメラやプリントは、現在のそれと比べると圧倒的に質の低いものでした。デジタルカメラの黎明期だったこともあり、画質を追求するのは難しかったのです。そんな制約があるなか、97年に全身を撮れるモデルが登場。こうしたバリエーションの広がりは、多くの人々に歓迎されました。そういえば、印刷される写真のサイズを1枚ずつ選択できるようになったころには、いまでは信じられないことに、プリントシール機の近くにテーブルとハサミが置いてありました。そこで、みんなでシールを切り出していたんですね。友だちとおしゃべりしながらハサミで切り分け「プリ帳」に貼っていく……。そんな時間もまた、楽しいものでした。 2000年 HITOMIこの時代になると、撮った顔写真を“盛れる”ようになってきました。瞳に星やハートなど、7種類のデコレーションを写し込める「HITOMI」(アイ・エム・エス)が登場したのは、この頃です。こうしたデコレーションは、プリントシール機のなかで特殊なライティングを施すことで可能になったのです。もちろん“ラクガキ”もできるようになり、ユーザーがアレンジできる幅が一気に広がりました。プリントシール機で撮った写真が普通の証明写真と異なる点のひとつが、自分の顔を“盛れる”こと。この機能は女性の変身願望を満たし、支持され続けたのかもしれません。こうした“盛れる”、“ラクガキできる”、“撮影シチュエーションを変えられる”というアイデア次第で、プリントシール機の人気は大きく左右されたのでした。 2006年 姫と小悪魔プリントクオリティに対する人々の要求が高まってきたのが、このころです。そこに現れたのが「姫と小悪魔」(オムロンエンタテインメント)。プリント画素数は600dpi。雑誌などの一般的な印刷物が250から350dpiということを考えれば、その美しさがわかると思います。また、本格的なスタジオのように6基のストロボを使い、ふんわりと“姫っぽく”撮ったり、クッキリと“小悪魔っぽく”撮れたりする点も人気の秘密でした。プリントシールは小さなサイズですが、だからこそ、写真やプリントの質にもこだわりたいという欲求が、楽しんでいる人たちの間で湧いてきた時代です。プリントシール機では、一般的な家庭用プリンターで採用される「インクジェット式」とは異なり、「昇華型熱転写式」という仕組みを使ったプリンターが使われています。インクジェット式でプリントしたシールは、よく見るとドット感があり、機材を何日も使っていない場合には、プリントに色ムラが出たり筋が入ったりします。その点、昇華型熱転写式は、ドット感がなくて仕上がりがなめらか。しかも、いつ使っても安定してキレイにプリントできるのが特徴なので、人気を得たのもうなずけますね。 2007年 美人 -プレミアム-“盛る”機能や“ラクガキ”機能が人気を得て進化したプリントシール機ですが、この年に登場した「美人 -プレミアム-」(フリュー)は、とことん写真自体の“写り”を追求していました。内蔵された一眼レフカメラの機能がアップし、搭載されるストロボは10灯になりました。さらにプリント画質は、1200dpiとより高精細に! そんな高画質機ですが“盛れる”機能も充実。このモデルが、いまに続く“デカ目”時代を切り拓いたともいわれています。このころになると、プリントシール機を誰もがいろんな場所で目にするようになりました。ゲームセンター以外の場所にも置かれるようになったことと、駅ビルやファッションビルのなかにプリントシール機専門店が誕生しはじめたからです。こうした動きによって、社会人やファミリーなど、幅広い年齢層のユーザーがプリントシール機を楽しむ時代になりました。 2012年 OH MY GIRLナチュラルでありつつも“いつもの自分よりもキレイに撮れる”ことがトレンドになったプリントシール機。なかでも「OH MY GIRL」(メイクソフトウェア)では、透明感のある“美肌”を実現しました。また、全身写真を活かしたコラージュや、ファッション雑誌の表紙のようなデザインシートなどが用意されました。そういえば、初期のプリントシールは、当時の女子高生たちが「プリ帳」に貼り、リアルの友だちと学校やカフェなどで見せ合っていたものです。その後、スマートフォンやケータイに写真データが転送されるようになり、直接ブログなどへアップするのも簡単な時代になりました。つまり、知らない人にも“プリクラ”で撮った写真を公開していたわけです。でも、ブログからLINEやFacebookなどへとコミュニケーションのトレンドが変わった現在では、また再び、リアルな友だちと“プリクラ”で撮った写真を見せ合うことが人気となっています。そもそも、誰かと同じ時間、そして同じ場所にいたことを記念して撮影/製作するプリントシール。友だち同士だけで共有するというのが、本当の楽しみ方なのかもしれませんね。***こうして振り返ってみると「懐かしい!」と感じられる機種や機能も多いのでは? 久しぶりに「プリ帳」を開き、当時を懐かしみながらプリントシール機を友だちや家族と楽しんでみてはいかがでしょう。