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懐かしい! 歴代“レジェンドモデル”で振り返る、プリクラ20年の歩み

“プリクラ”の相性で親しまれているプリントシール機。最初のモデルがゲームセンターに並んだのは1995年のことでした。今回は、誰もが一度は楽しんだことのあるプリントシール機の“レジェンド”モデルをリストアップ。その進化の歴史を振り返ります。 1995年 プリント倶楽部「プリント倶楽部」(アトラス/セガ・エンタープライゼス)が発売されたのは、約20年前のこと。女性客の少ないゲームセンターに置かれていたこともあって、当初こそ人気はパッとしませんでした。ところが、男性アイドルグループが出演するテレビ番組に登場したことで大ヒット。翌96年からはブームに火がつきました。元祖「プリント倶楽部」は、その場で撮った顔写真をカワイイ背景やフレームと合成してシールにする、というシンプルな仕組みでした。ブームになったことで、多くの他メーカーがプリントシール市場に参入。シールだけでなく、名刺やスタンプ、ポストカードやキーホルダーを作れるものなど、派生モデルが続々と登場しました。この頃のプリクラといえば、2〜3人で顔のみを撮影するのが普通で、使われているカメラやプリントは、現在のそれと比べると圧倒的に質の低いものでした。デジタルカメラの黎明期だったこともあり、画質を追求するのは難しかったのです。そんな制約があるなか、97年に全身を撮れるモデルが登場。こうしたバリエーションの広がりは、多くの人々に歓迎されました。そういえば、印刷される写真のサイズを1枚ずつ選択できるようになったころには、いまでは信じられないことに、プリントシール機の近くにテーブルとハサミが置いてありました。そこで、みんなでシールを切り出していたんですね。友だちとおしゃべりしながらハサミで切り分け「プリ帳」に貼っていく……。そんな時間もまた、楽しいものでした。 2000年 HITOMIこの時代になると、撮った顔写真を“盛れる”ようになってきました。瞳に星やハートなど、7種類のデコレーションを写し込める「HITOMI」(アイ・エム・エス)が登場したのは、この頃です。こうしたデコレーションは、プリントシール機のなかで特殊なライティングを施すことで可能になったのです。もちろん“ラクガキ”もできるようになり、ユーザーがアレンジできる幅が一気に広がりました。プリントシール機で撮った写真が普通の証明写真と異なる点のひとつが、自分の顔を“盛れる”こと。この機能は女性の変身願望を満たし、支持され続けたのかもしれません。こうした“盛れる”、“ラクガキできる”、“撮影シチュエーションを変えられる”というアイデア次第で、プリントシール機の人気は大きく左右されたのでした。 2006年 姫と小悪魔プリントクオリティに対する人々の要求が高まってきたのが、このころです。そこに現れたのが「姫と小悪魔」(オムロンエンタテインメント)。プリント画素数は600dpi。雑誌などの一般的な印刷物が250から350dpiということを考えれば、その美しさがわかると思います。また、本格的なスタジオのように6基のストロボを使い、ふんわりと“姫っぽく”撮ったり、クッキリと“小悪魔っぽく”撮れたりする点も人気の秘密でした。プリントシールは小さなサイズですが、だからこそ、写真やプリントの質にもこだわりたいという欲求が、楽しんでいる人たちの間で湧いてきた時代です。プリントシール機では、一般的な家庭用プリンターで採用される「インクジェット式」とは異なり、「昇華型熱転写式」という仕組みを使ったプリンターが使われています。インクジェット式でプリントしたシールは、よく見るとドット感があり、機材を何日も使っていない場合には、プリントに色ムラが出たり筋が入ったりします。その点、昇華型熱転写式は、ドット感がなくて仕上がりがなめらか。しかも、いつ使っても安定してキレイにプリントできるのが特徴なので、人気を得たのもうなずけますね。 2007年 美人 -プレミアム-“盛る”機能や“ラクガキ”機能が人気を得て進化したプリントシール機ですが、この年に登場した「美人 -プレミアム-」(フリュー)は、とことん写真自体の“写り”を追求していました。内蔵された一眼レフカメラの機能がアップし、搭載されるストロボは10灯になりました。さらにプリント画質は、1200dpiとより高精細に! そんな高画質機ですが“盛れる”機能も充実。このモデルが、いまに続く“デカ目”時代を切り拓いたともいわれています。このころになると、プリントシール機を誰もがいろんな場所で目にするようになりました。ゲームセンター以外の場所にも置かれるようになったことと、駅ビルやファッションビルのなかにプリントシール機専門店が誕生しはじめたからです。こうした動きによって、社会人やファミリーなど、幅広い年齢層のユーザーがプリントシール機を楽しむ時代になりました。 2012年 OH MY GIRLナチュラルでありつつも“いつもの自分よりもキレイに撮れる”ことがトレンドになったプリントシール機。なかでも「OH MY GIRL」(メイクソフトウェア)では、透明感のある“美肌”を実現しました。また、全身写真を活かしたコラージュや、ファッション雑誌の表紙のようなデザインシートなどが用意されました。そういえば、初期のプリントシールは、当時の女子高生たちが「プリ帳」に貼り、リアルの友だちと学校やカフェなどで見せ合っていたものです。その後、スマートフォンやケータイに写真データが転送されるようになり、直接ブログなどへアップするのも簡単な時代になりました。つまり、知らない人にも“プリクラ”で撮った写真を公開していたわけです。でも、ブログからLINEやFacebookなどへとコミュニケーションのトレンドが変わった現在では、また再び、リアルな友だちと“プリクラ”で撮った写真を見せ合うことが人気となっています。そもそも、誰かと同じ時間、そして同じ場所にいたことを記念して撮影/製作するプリントシール。友だち同士だけで共有するというのが、本当の楽しみ方なのかもしれませんね。***こうして振り返ってみると「懐かしい!」と感じられる機種や機能も多いのでは? 久しぶりに「プリ帳」を開き、当時を懐かしみながらプリントシール機を友だちや家族と楽しんでみてはいかがでしょう。

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いちごスプーンはなぜ消えた?

「いちごスプーン」を知っていますか? 底が平らで、いちごのタネのようなブツブツが刻まれたスプーンです。このスプーンは、いちごをつぶした後、砂糖と牛乳をかけて食べるために使われていました。最近はほとんど見かけなくなりましたが、なぜ使われなくなったのでしょうか。 いちごスプーンを世に送り出した老舗カトラリーメーカー、ラッキーウッド 小林工業の小林貞夫社長に聞いてみました。 ■いちごの品種改良により売上が激減したいちごスプーンーー 昭和生まれの方なら、いちごスプーンと聞けばピンときますよね? 子どもの頃、いちごをつぶして甘いいちごミルクをつくって食べるのが楽しみでした。いちごミルクに欠かせないいちごスプーンは、どのようなきっかけで生まれたのでしょうか?「いちごが一般家庭に普及したのは1960年代で、その頃主流だったのは、アメリカから輸入され、栽培された品種といわれています。当時のいちごは酸味が強かったので、それをやわらげるためにつぶして砂糖と牛乳をプラスする食べ方が流行ったんですよ。いちごをつぶすとき、ふつうのスプーンでは滑ってつぶしにくかったため、底が平らですべりにくいスプーンを、先代社長が思いついて試作しました。ところが、実際に試してみたところ、底が平らなだけでは滑ってしまい、思うようにいちごをつぶせなくて……。そこで、弊社とおつきあいのあったベテランの金型彫金師さんに相談したところ、滑り止めを兼ねた、いちごの種の模様を考案してくれたのです。試行錯誤の末、昭和35年に発売。その後いちごスプーンは、ロングセラー製品となりました」発売当初のカタログ。当時80円だったいちごスプーンも現在では520円。当時からデザインは変わっていないとのこと ーー今では、いちごミルクにして食べる方って、ほとんどいませんよね?「いちごの品種改良でいちご自体が甘くなり、そのままフォークで刺して食べるのが主流となりました。その結果、いちごスプーンは使われなくなり、衰退していきました」ーー いちごスプーンは現在も製造されているのでしょうか?「はじめに開発されたデザインのものを含め、2種類だけを残して今でも製造しています。最盛期には年間5万本前後を生産していましたが、今は700本前後の生産数となっています」 ラッキーウッド「ロマンスシリーズ」のいちごスプーン。製造数は減っているものの、今も販売中のロングセラー商品 ■いちごスプーン人気に復活の兆し!? ーー いちごスプーンってもう消えてしまったものものかと思っていたのですが、近所のホームセンターやショッピングセンターの食器コーナーで、ふつうに売っていて驚きました。「いちごを潰すために編み出されたいちごスプーンですが、最近はいろいろな使われ方をされているようです。今でも、年間数千本を製造しているメーカーさんが新潟県の燕市にありまして、その会社の方に聞いてみたところ、離乳食用や介護用として使われるお客さまが増えているとのこと。離乳食レシピの本にも、いちごスプーンの使い方が紹介されていて、お母さん方からも注目されているみたいですよ」ーーまったく使われなくなったわけではないのですね。ここへきて、いちごスプーンの便利さが見直されており、使う人も増えつつあるとのこと。使ったことのない方は、試してみてはいかがでしょうか? ■いちごスプーンを使って簡単デザート作りせっかくなので、いちごスプーンを使ってシャーベットを作ってみました。熟したいちごをいちごスプーンでつぶして砂糖をかけ、牛乳をかけたものを、三菱電機の冷蔵庫に搭載されている“切れちゃう瞬冷凍”機能を使って凍らせてみました。切れちゃう瞬冷凍を使うと、食材がサクッと切れるくらいの“ソフト冷凍”状態になるので、いちごをソフトなシャーベットみたいに楽しめるのでは? と思ったからです。いちごスプーンでいちごをつぶす。熟した小さめのいちごの方がつぶしやすい 砂糖と牛乳を足す。このままでもおいしい。凍らせる場合は砂糖を多めに 三菱電機の冷蔵庫“切れちゃう瞬冷凍”機能を使いマイナス7℃で冷凍 カチカチになりすぎず、食べやすい なつかしくて、やさしい味のシャーベットが出来上がりました! これなら子どものおやつにも安心ですね。作り方もとても簡単です。普通に冷凍してしまうと、カチカチになって食べづらいのですが、今回は切れちゃう瞬冷凍を使ったので、サクッとスプーンを入れられて、とても食べやすく仕上がりました。ここに練乳を追加すると、コクが出ますよ。特に小さな子どもがいらっしゃる家庭では、いちごスプーンってなにかと使えそうですね。ぜひお試しください! 【参考リンク】切れちゃう瞬冷凍でできるスイーツレシピ■主婦の味方!手軽でおいしいレシピ集  ラッキーウッド 小林工業株式会社(代表取締役社長 小林貞夫さん)1868年に鍛冶業として創業。金属洋食器、銀器などを製造するメーカー。百貨店などで販売されているカトラリーブランド「ラッキーウッド」などで有名。今回お話を聞いた小林貞夫社長は5代目。 ラッキーウッド 小林工業株式会社https://www.luckywood.jp/ 文・写真/石井和美フリーライター・家電プロレビュアー。子ども2人と夫の4人家族。白物家電や日用品の製品レビューを得意としている。Webや雑誌などで多数執筆中。家電blog(http://kaden-blog.net/」)管理人。

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テレビデオはどこへ行った?

テレビデオ。2in1家電や複合型家電の代表的アイテムとして、1980年代頃には各メーカーから発売されていました。とはいえ存在自体は多くの人に知られているものの、その詳細についてはほとんど語られていません。今回はそんな知られざるテレビデオの歴史について調べてみました。 逆風にさらされたデビュー 一転、ヒット商品へ70年代後半に勃発した、家庭用ビデオデッキにおける規格競争。俗にいう“VHS対ベータ戦争”の真っ最中に登場したのがテレビデオです。いうまでもなく、テレビデオとはテレビとビデオを繋げた合成語。正式には“ビデオ内蔵型テレビ受像機”といい、主にブラウン管方式のテレビとVHS方式のビデオデッキを組み合わせた製品のことを指します。そんなテレビデオは、登場時から常に、逆風に晒されたアイテムでした。テレビデオのデビュー当時、ビデオデッキは普及が始まったばかりで、まだとても高価なアイテム。とても一家に1台というものではありませんでした。複合機であるテレビデオは、それぞれを単独で購入するよりも必然的に高価となり、いわゆる“贅沢品”でした。80年代にかけて、各社からいくつかの新商品が登場しますが、当時テレビは大画面化、ビデオデッキは高性能化・低価格化が進行している最中で、この時期にテレビデオにあえて高いお金を出して買うメリットはありませんでした。さらに、今とは違い、テレビは一家に1台、しかもリビングに置く時代。ビデオデッキ部分の故障のたびにテレビごと家電店に引き取られるケースが多く、そのたびに家庭からテレビがなくなってしまうことから、人気は高まりませんでした。とはいえ、90年代に入ると、テレビデオの人気が徐々に高まります。ヒットの理由は、ビデオの価格が下がり、テレビデオも購入しやすい価格設定になったこと。また、テレビが一家に1台の時代から複数所有する時代へと移行し「マイルームや寝室などにテレビ・ビデオデッキを置きたいが、リビングのようなスペースがない」というニーズに、テレビデオの“余計な配線がいらない”省スペースというメリットがマッチしたことも、ヒットの理由でしょう。さらに、80年代後半からレンタルビデオ店が爆発的に普及し始めたことも、テレビデオのヒットの要因であるとされています。 デジタルシフトで“消えた”テレビデオ そして、時代はデジタルへ。それまで主役だったアナログのVHSが、一気にデジタルメディアであるDVDへと置き換わっていきます。DVDの規格は1995年に発表され、96年9月に初の商用化に成功。日本では96年11月、世界初のDVDソフトとして、谷村新司のライブDVD『シンジラムニタ』が発売されます。これを皮切りに、徐々にレンタルDVDが店頭に並び始めました。2000年頃には、レンタルメディアの主役がVHSから省スペースのDVDへと本格的に移行。さらに2003年、DVDより大容量のデジタルメディア、Blu-Rayが登場し、ソフトも徐々に充実していきました。時代が完全にデジタルシフトしたことで、VHSビデオデッキを搭載したテレビデオの市場は、あっという間に縮小していきます。液晶/プラズマパネルの採用によるテレビの薄型化により、VHSビデオデッキを配置するスペースを確保しにくくなったことも、テレビデオの進化を阻害したといえるでしょう。 HDD内蔵型へ進化 新たな人気者にとはいえ、いつでも簡単にテレビ番組を録画したい、パッケージソフトを見たい、といったニーズは依然として高く、その後録画用HDDやDVDプレーヤー、HDDではなくBlu-Rayに直接録画する機能を内蔵した液晶/プラズマテレビが発売されます。録画用HDDを内蔵することで、DVDなどのレコーダーがなくても録画できる点が大きなメリット。さらに、Blu-Rayディスクレコーダーも搭載することで、まさにテレビデオのデジタル版ともいうべき「録画テレビ」となりました。そして現在、多くの薄型テレビが、接続した外付けHDDに番組録画できる機能を搭載するようになりました。一方、録画用HDDとBlu-Rayディスクレコーダーの両方を搭載した録画テレビは、少数派となっています。これは、テレビデオの黎明期と同様、HDDやDVD/Blu-Rayレコーダーの搭載による価格アップが、熾烈な価格競争を強いられている薄型テレビの世界では敬遠されていることの現れなのかもしれません。そんな少数派の録画テレビですが、多くのメリットを備えていることは間違いありません。たとえば、三菱電機の液晶テレビ「REAL BHRシリーズ」などは、高画質・高音質であるのはもちろん、テレビデオ時代からのメリットである省スペース設計や、余計な配線が不要という美点を活かし、設置しやすく、設置後の掃除も非常にラクというメリットを備えています。またテレビデオは、ビデオデッキ部分が壊れてしまったら修理に預ける必要があり、テレビも見られなくなる、というデメリットがありましたが、REAL BHRシリーズはこれを解消。テレビ部、録画部それぞれのユニットが分離されており、仮にレコーダー部だけが故障しても、その部分だけをサービスマンに交換、修理してもらうことができるのです。このように、今では絶滅してしまったかつてのテレビデオですが、現在もそのDNAを受け継ぐモデルとして、録画テレビは進化し続けているのです。 ●関連記事:かつてのテレビデオが大進化。「録画テレビ」が新生活に超便利!http://www.nikuine-press.com/forefront/post_1254

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持っている家庭は2割。「はたき」はもう役に立たないの?

はたきがあるのは5世帯のうち1世帯かつて、昭和の家庭では一家に一本あるのが当たり前だった「はたき」。最近、めっきり見かけなくなった気がしませんか? 2014年にリビングくらしHOW研究所が全国の女性を対象に行った調査(*)によれば、はたきを持っている人は21.5%。およそ5世帯のうち1世帯にしかはたきがない時代になっているのです。はたきが家庭で使われるようになったのは、江戸時代のこと。当時のはたきは絹や紙などを裂いて竹に結びつけたもので、 “サイハライ”と呼ばれて塵払いに使われていました。絹は静電気を起こしにくく、滑らかでまとわりつきにくいため、いまでも絹のはたきは作られています。桟や欄間、障子など、雑巾では掃除しにくかったり、濡らしてはいけない場所が多い日本家屋では、はたきはチリやホコリを落とすために便利な道具でした。が、住環境が西洋化し、さらに高気密化が進むにつれ、ホコリが舞うのを避けたいということもあってはたきを使う人が減少。ハンディモップやさまざまなワイパーなどの拭き掃除ツールが広く使われるようになり、いまに至ります。使い方しだいでは今も“使える” 道具ただ、はたきの持つ特徴を改めて見直してみると、使い方によってはやはり便利なことに気づきます。まず、天井に近い場所や、棚の上、照明のシェードの裏側といった、拭き掃除がしにくいところのホコリを簡単に落とせます。棚と棚の間など、モップが入らないようなごく狭い隙間に差し込むこともできます。多少ホコリが舞っても、窓を開けて掃除をするぶんにはあまり気にならないという人なら、はたきはいまでも“使える道具”なのではないでしょうか。また、はたきはお店で購入するだけでなく、「自分で作ってみる」という手もあります。細長い棒に、着なくなった洋服などを短冊状に切って結え付ければ、カラフルな“マイはたき”のできあがり。家族と一緒に、工作感覚で作ってみるのも楽しいですね。掃除の基本、「上から下へ」ではたきがけはたきをかける際になにより大切なのは、掃除の基本中の基本である「上から下へ」のルール。天井付近から、エアコンの上、本棚の上、照明のシェードなど、上から下へと順番にホコリを落としていき、最後に掃除機で床にたまったホコリを吸い取ります。それが終わったら雑巾やワイパーなどで拭き掃除、という流れです。かつて日本家屋が主流だった頃とは大きく変化を遂げ、現在の住宅は気密性が高く、西洋に近い住環境に変わりました。マンションなど集合住宅に住む人も多くなり、掃除機はどんどん高機能で便利に。そんな中で、江戸時代からほぼ同じ形状のままのはたきがいまも活躍し、昔から受け継がれてきた「上から下へ」の鉄則も変わりません。最新の掃除ツールを便利に使いこなしながら、昔ながらの知恵や道具も使えるものは使う。そんな“ハイブリッドお掃除”が、実はいちばん効率が良いのかもしれませんね。(*)=データ出典:リビングくらしHOW研究所「 (女性/2014年/全国)掃除についてのアンケート」http://www.kurashihow.co.jp/admin/wp-content/uploads/2014/03/b34b148e50a3439a23ef15e5d7e892a1.pdf 

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ササニシキはなぜ見かけなくなった?

野球でいえば巨人と阪神。「東の横綱ササニシキ、西の横綱コシヒカリ」と、かつて人気を二分していたはずのお米の代表的銘柄「ササニシキ」と「コシヒカリ」ですが、その一角であったはずの「ササニシキ」を最近見かけないと思いませんか?平成5年の大冷害で状況が一変。“二強体制”は終焉へ「ササニシキ」は昭和28年、宮城県の古川農業試験場にて、病気に強く収量の多いお米として誕生。昭和38年より作付けが始まり、寒い東北地方でも比較的病気に強いということで急拡大し、昭和60年〜平成5年まで、全国第2位の作付けを占めていたほど作られていました。しかし、平成5年に大冷害が起きたことで状況が一変。「ササニシキ」の生産量は一気に激減。翌年には東北での作付け面積1位の座を「ひとめぼれ」に譲ることになりました。ちなみに「ひとめぼれ」は、昭和56年に冷害に強い「コシヒカリ」と「初星」を交配して作られた品種。 こうしていわゆる“二強体制”はあっさり終焉を迎えました。ちなみに「ササニシキ」は、現在では全国の作付面積約1%という希少な銘柄と なっています。ところで、現在日本国内で作付けされているお米の銘柄数ってご存じですか? 知っているようで知らない銘柄数について調査してみまし た。ササニシキは激減。でもお米の種類はこんなに多い!農林水産省が公表している直近の「平成27年産水稲うるちもみ及び水稲うるち玄米の産地品種銘柄一覧(※1)」のデータによると、お米の品種数は、国に品種登録されているものが705品種もあるそうです。最近、高級炊飯器などでは“お米の銘柄炊き機能”というのがちょっとしたトレンドですが、そのうち、日本全国705種類もある銘柄すべてを炊き分けられるようになるのでしょうか。さらに、銘柄の一覧表を見ていて気になるのが、お米らしからぬ、思い切った大胆なネーミングを付けている銘柄が増えていること。 森のくまさん にこまる あきろまん「森のくまさん」は、“森の都”熊本で生産された米という意味から名付けられた人気の銘柄。粒がやや細めで、味、つや、粘り、香りの良い お米。粘りが強くもちもちした食感が特徴です。長崎で生まれたのは「にこまる」。こちらも九州のブランド米です。笑顔がこぼれるほどおいしい品種で、丸々とした粒張りのよさを表現した名称。光沢があり粒ぞろいが良く、さっぱりとしていて風味や後味が良いお米です。「あきろまん」の“あき”は、広島県地域の名称で安芸の国を指し、“ろまん”は夢の意味で命名された、文字どおり広島産の品種です。適度な粘りがあり、さっぱりした食感と歯応えがあるのが特徴。冷めてもおいしさを保ちます。こうしたお米の銘柄に関しては、今後もどんどん調査していきたいと思います。(※1)=データ出典:http://www.maff.go.jp/j/seisan/syoryu/kensa/sentaku/pdf/h27listo.pdf (農林水産省統計 平成27年産水稲うるちもみ及び水稲うるち玄米の産地品種銘柄一覧) 【こんな記事もオススメです】[glink url="http://www.nikuine-press.com/tellme/post_320/"][glink url="http://www.nikuine-press.com/tellme/post_486/"]